5Sと論語で5編の5S訳を取り上げたが、目を通す方が少なからずおられるので、左の論語抄に掲載の31編を載せてみた。原文に意図が合っているかどうか、はなはだ心もとないが、足利5Sの楽しむ精神での訳なので、その範ちゅうで読んで下さい。こんなことから論語に親しんでいただけたら幸いです。

1 子曰わく、巧言令色、鮮きかな仁
しいわく、こうげんれいしょく、すくなきかなじん
孔子が言った。たくみに言葉を飾ったり、たくみに顔色をとりつくろったりする人物には、ほとんど仁(人間愛)の道はないと言ってよい。(須長美知夫先生訳)
本物をめざす。口先だけのもの、形だけのもの、取り繕ったものはやがてメッキが剥がれる。正直に真剣に本物志向の姿勢が良い人間関係・仕事の成果をもたらす。(木村温彦訳)
2 子曰わく、故きを温ねて新しきを知らば、以て師為るべし
しいわく、ふるきをたずねてあたらしきをしらば、もってしたるべし
孔子が言った。過去のことを考え究め、それを取捨し、選択したものをもとにして、現在及び未来のことを考える。そうした考え方をする人は、他の模範となり得る人である。(伝統にばかりこだわると頑固にすぎる。過去を否定し、新しいことばかりにこだわると、時流に流される。)
改革・改革と勇ましいのは少々怖い。人間の歴史は栄枯盛衰の繰り返しであり、そこには、変えてはいけないこと、変えなければならないことへの教訓がある。学べば嘘・本物がわかってくる。
3 子曰わく、君子は器ならず
しいわく、くんしはきならず
孔子が言った。器(うつわ)はすべて、ある目的のための専用につくられるもの。しかし、学徳ともにすぐれた君子と言われる人物は、ある1つだけの専門であってはならない。
激動・変化の時代である。古い器の中だけでは変化できない。ハゥトゥだけでも後追いになる。自分で考えて、意思決定を心がける。特に管理監督者、さらには現場にまでこの”器ならず”のフレキシブル性が浸透していれば申し分ない。
4 子曰わく、学びて思わざれば則ち罔く、思いて学ばざれば則ち殆し
しいわく、まなびておもわざればすなわちくらく、おもいてまなばさればすなわちあやうし
孔子が言った。視たり、聴いたりして他から学んだことを、自分なりに思考しなかったなら、道理にくらいものになってしまう。逆に他から学ぶことをせず、ただ自分だけで思考するならば、独善におちいる危険性がある。
常になぜ・何故・ナゼを5回繰り返してみる。自分の仕事を全て疑ってみる。学ぶ・トライしてみる・考える・悩む…その先に大きな喜びや安心が待っている。
5 子曰わく、利に放りて行えば怨多し
しいわく、りによりておこなえばうらみおおし
孔子が言った。利益ばかりを考えて行動したら、人の怨みを受けることが多い。
利益・利益・利益…お金・お金・お金…の姿勢に陥っていませんか。相手よし、お客様よし、そして自分よし、商売(事業)の原点に戻ってみませんか…。
6 子曰わく、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す
しいわく、くんしはげんにとつにして、おこないにびんならんことをほっす
孔子が言った。学徳ともにすぐれた君子は、口下手であるが、行動の実践には、すばやく対応しようと心がけるものだ。
5Sでは実践第一を旨とする。学習は次の実践ステップのために副次的に必要になるものである。主客逆転を間違わないように…。
7 子曰わく、徳は弧ならず、必ず鄰有り
しいわく、とくはこならず、かならずとなりあり
孔子が言った。人格者は一人ぼっちでない。必ずその人格にひかれ、それを仰ぎ、それに共鳴する人がいるものである。
5Sを誰かがやらなくても、まず、一人でも実践してみる。きっと1人、2人と協力者が現れる。それが正しければ、やがて、全体に広がる。いつでも誰かが見ています。
8 子曰わく、已んぬるかな、吾未だ能く其の過ちを見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり
しいわく、やんぬるかな、われいまだよくそのあやまちをみて、うちにみずからせむるものをみざるなり
孔子が言った。世も末じゃ。私はこれまで、自分の過失を自覚して、しかも、自分の心の中で自分をせめる者を見たことがないのだ。
他人がやらないから、あの人が悪いから、上が決めないから…と、何でも他人のせいにしていませんか。5Sでは自分の範囲の事くらいは自分で責任を持って、自分の仕事にニンベン(動を働に)付けて結果は自分に返って来ます。
9 子曰わく、之れを知る者は、之れを好む者に如かず。之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず
しいわく、これをしるものは、これをこのむものにしかず、これをこのむものは、これをたのしむものにしかず
孔子が言った。ある物事について、それを単に知っている者は、それを好む者には及ばない。しかし、それを好む者だって、その物事について楽しむ者には及ばないのだ。
足利の5Sの本質は楽しく…である。楽しいことは時間も忘れる。楽しいことは自らが進んて手がける。楽しいとコミュニケーションがうまれる。だから、自然と結果が出る。
10 子曰わく、仁は遠からんや。我仁を欲すれば、斯に仁至る
しいわく、じんはとおからんや、われじんをほっすれば、ここにじんいたる。
孔子が言った。仁(人間愛)の道は、我々の手のとどかない、遠いところにあるものではない。自分が仁の道を求めさえすれば、すぐに仁の道は来るものだ。(要は心の持ち方次第だ。)
着眼大局・着手小局。自分の目標を正しく大きくとり、実践するのは日々、ちいさなことの積み重ねである。大局だけだと大風呂敷を広げただけ、小局だけでは大きなことはできない。特に日本人は着眼大局に弱そうだ。
11 子曰わく、人遠き慮無ければ、必ず近き憂い有り
しいわく、ひととおきおもわんばかりなければ、かならずきかきうれいあり
孔子が言った。我々人間において、時間的にも、空間的にも、遠く、広く、しかも深い気配りをしなかったなら、必ずや、身近に憂いごとが起こるものである。
グローバル化と共に目先のことが優先される。日本には千年を超える事業体がある。超長期的視野に立ってきたことを意味する。目先のことだけにとらわれていると、近くも遠くも、いつも不安がつきまとう。
12 子曰わく、之れを如何にせん、之れを如何にせん、と曰わざる者は、吾、未だ之れを如何ともすることなきのみ
しいわく、これをいかんせん、これをいかんせん、といわざるものは、われ、いまだこれをいかんせんともすることなきのみ
孔子が言った。どうしたらいいだろう、どうしたらいいだろう、と、自分なりに思案に思案を重ねて苦慮しない者に対しいては、私もまた、どうすることもでいないのだ。
これをやってみよう、と思わなければモノごとは決して前に進まない。まず、やってみる…が5Sの精神である。
13 子曰わく、過て改めざる、是れを過ちと謂う
しいわく、あやまちてあらためざる、これをあやまちという
孔子が言った。(過失は誰にでもある。しかし)過失を犯した時、それを自分で反省し、改めなかったら、それこそ、ほんとうの過失というものだ。
5Sはまずやってみることである。やってみると間違っても次の一手が見えて来る。さらに、悪いことは表に出して隠さないようにする。過ちを直視することにより、人間の知恵が積み重ねられる。
14 子曰わく、君子は義に喩り、小人は利に喩る
しいわく、くんしはぎにさとり、しょうじんはりにさとる
孔子が言った。学徳ともにすぐれた君子と言われる人物は、義(道理にかなった正しいこと)に敏感であり、学問はあるが徳性のない小人と言われる人物は、利益に敏感である。
現在の日本は利が大勢を占めているようだ。道理にかなったことが、事業体の安心・安全につながって行く。儲けようと思うと儲からない…5Sもそんなことを教えてくれます。
15 子曰わく、君子の天下に於けるや、敵も無く莫も無し、義と与に比う
しいわく、くんしのてんかにおけるや、てきもなくばくもなし、ぎとともにしたがう
孔子が言った。学徳ともにすぐれた君子と言われる人物は、この現実の世の中において、特にこうしなければならないというものもなく、また絶対にそうしないと、かたくなに考えることもない。その時、その場に適した正しい道理に従ってゆくものだ。
優れた人物は、何事に関しても、絶対にこうしなければダメと自分の主張にしがみついたりしない。心をまっさらにしてみよう。
16 子曰わく、人の己を知らざることを患えず。人を知らざることを患うなり
しいわく、ひとのおのれをしらざることをうれえず、ひとをしらざることをうれうなり
孔子が言った。他人が、こちらの真価を知ってくれなくとも、気にかける必要はない。それよりも、自分が、他人の真価を認めないことを、心すべきである。
他人が認めてくれなくてもよいではないか。自分の信じたことを勇気をもってやろう。自分より秀でた人はどんな人でも師とみなそう。
17 子曰わく、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず
しいわく、し、みちにこころざして、あくいあくしょくをはずるものは、いまだともにはかるにたらず
孔子が言った。士(道徳の修養に志す人)たる人物で、その修養に志しながら、着衣や食物の粗末さを恥ずかしいと思う者がいたとしたら、私と一緒に、道について論ずる資格はない。
きれいごとが並べたてられたら要注意である。本物は泥臭いものだ。清掃できれいになった職場でも、深い根っこの部分を磨くことを怠りのないように…。
18 子曰わく、苟くも仁に志せば、悪しきこと無し
しいわく、いやしくもじんにこころざせば、あしきことなし
孔子が言った。仮にも、仁(人間愛)を心に持つことを志したなら、その人においてすべての悪はなくなるだろう。
本当の慈愛の心から出ているのなら、どんなにきつく叱っても怨まれません。遠慮や躊躇をしていませんか?特に新人には…。
19 子曰わく、古言を出ださざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり
しいわく、いにしえげんをいださざるは、みのおよばざるをはずればなり
孔子が言った。古の人が、軽々しく言葉を口に出さなかったのは、自分の行為が、言葉におよばないことを恥としたからである。
軽々しい言葉に気を付けよう。自分の行為を高めよう。言うは易し、行うは難し。言葉に負けない行動を。行動出来ない言葉は慎重に…。昔の人は恥を知っていたようである。
20 子貢問いて曰わく、一言にして以て終身之を行うべき者有りやと、子曰わく其れ恕か、己の欲せざる所人に施すこと勿かれと
しこうといていわく、いちごんにしてもってしゅうしんこれをおこなうべきものありやと、しいわくそれじょか、おのれのほっせざるところひとにほどこすことなかれと
門人の子貢が尋ねて言った。たった一言で一生涯をとおして、行動する際に心すべきこと、といったら何でしょうと。孔子が答えて言った。それは「思いやり」と言うことだ。自分が欲しくないものを、他人に与えてはいけない、と言うことだ。(自分の心をとおして他人を思いやること)
5Sの目的は人々が安全・安心に働けることである。人への思いやりなくして何の5Sだろうか、仕事だろうか、安全・安心だろうか。
21 子曰わく、中庸の徳たるや、其れ至れるかな、民鮮なきこと久し
しいわく、ちゅうようのとくたるや、それいたれるかな、たみすくなきことひさし
孔子が言った。中庸(常に公平で過不足や上下左右のかたよりのないこと、必ずしも二分の一とは限らない)という最高の徳性が人々の心の中から失われてしまってから久しくなった。(「論語」中に「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」とも言っている。)
いい加減ということばは本来、「過不足のない、ちょうど良い加減」という最高の意味であった。5Sではいい加減精神を大事にしたいものだ。
22 子曰わく、君子は和して同ぜす、小人は同じて和せず
しいわく、くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず
孔子が言った。学徳ともにそなわった君子と言われる人物は、人達とやわらぎ親しむが、付和雷同(自分にしっかりした意見がなく、軽々しく他人の意見に同調)することはない。学問はあるが徳性のない小人は、その逆である。
みんなで渡れば怖くない…。事業体にとっては凄~く怖い言葉です。和とは協力を大事にすることですが、付和雷同ではありません。
23 厩焚けたり子朝より退きて曰わく、人を傷なえりやと、馬を問わず
うまややけたりしちょうよりしりぞきていわく、ひとをそこなえりやと、うまをとわず
ある時、孔子の家の馬屋が焼けた。役所から帰った孔子は尋ねた。「人に怪我はなかったか」と。その場では馬については尋ねなかった。(孔子は人間を第一に考える人であった)
安全第一、人が全てである。5Sも人も安全・安心に暮らせることを第一目標にしている。カネ・モノも全て人あってのこと…。
24 子曰わく、君子は諸れを己に求む、小人は諸れを人に求む
しいわく、くんしはこれをおのれにもとむ、しょうじんはこれをひとにもとむ
孔子が言った。学徳ともにすぐれた君子と言われる人物は、すべてを自分に求め、自分を責めるが、徳性のない小人は、すべてを他人に求め、責任を他人に求めるものだ。
5Sは現場次第である。他人のうわさは無責任がほとんど。自分の信じたことを勇気を持って実践しよう。やがて風景が変わって来る。
25 子曰わく、性相近し、習相遠し
しいわく、せいあいちかし、ならいあいとおし
孔子が言った。人の、生まれながらにしての天性は、さして差のあるものではないが、その後の習慣によって、大きな差が出来るのだ。
生まれた時の才能の無さを嘆くまい。鼻を高くするのもやめよう。その後の毎日の習練によって、大きな差が出る。毎日一歩の確実な活動を…。
26 子曰わく、衆之れを悪むも必ず察し、衆之れを好するも必ず察す
しいわく、しゅうこれをにくむもかならずさっし、しゅうこれをよみするもかならずさっす
人間社会の多くの人が、その人を悪く言ったり、あるいはほめたたえたりしても。その世評を、そのまま受け入れることはせず、必ず、自分なりにその人をよく観てやることだ。
現場主義とは、全員が悪く言っても鵜呑みにせずにきちんと調べてみる。全員がよく言っている時も同じことだ。いつでも自分の目で真因まで確かめよう。
27 子貢君子を問う、子曰わく、先ず其の言を行い、而る後之れに従う
しこうくんしをとう、しいわく、まずそのげんをおこない、しかるのちこれにしたがう
孔子の門人の子貢が、学徳ともにすぐれた君子と言われる人物について尋ねた。それに対して孔子が答えた。あることについて、あれこれ言う前に先ず行うこと。行った後に、言うことがあれば言う。不言実行。それが君子なのだ。
5Sは実践である。勉強だけのセミナー、取得が目的の資格、○○賞が目的の活動、後先が逆になっていませんか。
28 子曰わく、歳寒して然る後に、松柏の彫むに、後るるを知る
しいわく、としさむくしてしかるのちに、しょうはくのしぼむにおくるるをしる
孔子が言った。春夏の季節には、樹木はずべて葉を茂らせているので、区別することはできないが、寒くなると、落葉樹の中にまじる常緑樹である松柏の存在が、はじめてわかる。(それと同じように人間も、危険困難な情況情況になって、はじめて、その本性がはっきりするものである。)
本モノの仕事とは、いつも何事もないように、退屈なほどスムースに流れて行くものだ。そういう仕事をしている人は普段は全く目立たない。しかし、一端、事が起こるとその時、真価が発揮される。
29 子曰わく、位無きを患えず、立つ所以を患う
しいわく、くらいなきをうれえず、たつゆえんをうれう
孔子が言った。自分の社会的地位のないことを悩むことはない。それよりも、地位に立つための人間性がないからであるとを、悩むことだ。
社会的地位を目標にしている人が多いが、それはどうでも良いことである。それよりも本当の仕事ができるか、人間性が豊かであるかが重要なのだ。
30 子曰わく、三人行えば、必ず我が師有り
しいわく、さんにんおこなえば、かならずわがしあり
孔子が言った。自分を含めて三人で行動すると、他の二人の言動には、必ず自分にとって学ぶべき師となるものがある。
三人寄れば文殊の知恵。部下であろうと年下であろうと誰でもが自分と違うものを持っている。それを素直に認めて受け入れられれば、自分の器がそれだけ大きくなる。
31 子曰わく、剛毅木訥は、仁に近し
しいわく、ごうきぼくとつは、じんにちかし
孔子が言った。剛(私心がなく、無欲なこと)、毅(意志が強く、思いきりのよいこと)、木(=僕、ありのままで飾り気のないこと)、訥(口べたであること)なる人物は、学徳ともにすぐれた仁者に、ほど近い。
頭の回転が良くレスポンスの良い人は後で失望することが多い。反面、無欲、意志が強い、飾り気がない、口下手な人の中に長く信頼できる人が多いようだ。5Sもそのような地道な活動だ。