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イソヒヨドリ

久しぶりの投稿です。本ブログに目を通しておられる方には、しばらく間を空けたことをお詫び申し上げます。また、私の近況ですが、足利の5Sから離れて、自分の時間の範囲で大宮を中心に広域で元気に活動を続けています。そのような中で、全国的にリーダーシップが弱くなっていることが気になります。そして、リーダーシップの話になると、少し、いや180度かもしれません、その意味合いの解釈が理解されていないことが気になります。モノゴトは、まずやる気、そしてその中味、さらにはやり続けることだと思うのですが、中味の解釈が違うと全く違う活動になり兼ねません。そこで今回も、ドラッカー博士の現代の経営からの引用ですが、その中味を吟味してみたいと思います。

 われわれは、凡庸な人に凡庸ならざることをさせることをもつて、組織の目的の1つとした。凡庸な人を凡庸ならざる人にするとはいわなかった。ということは、リーダーについてはまだ論じていないということである、
 これは意図あってのことである。確かにリーダーシップは重要である。リーダーシップに代わるものはない。しかし、リーダーシップは創造できるものではない。昇進によってできるものではない。教えたり、学びとったりすることのできるものではない。

アオバト①

古代ギリシャや古代イスラエルにおいてリーダーシップを論じた人たちは、今日われわれが知っていることはすべて知っていた。今日、次からつぎへと出てくる企業におけるリーダーシップについての書籍、論文、講演のいずれもが、『旧約聖書』の預言者やギリシャ悲劇の詩人アイスキュロスの論じたものに何も加えていない。
リーダーシップについて論じた体系的論文、クセノフォン(彼自身、立派なリーダーだった)の「キュロバイダイア」をしのぐものは現れていない。爾来3000年にわたる研究、教育、訓戒も、この世にリーダーの数を増やしはしなかったし、リーダーになることを容易にもしていない。リーダーシップに代わるものはない。しかし、マネジメントがリーダーをつくることはできない。マネジメントにできることは、リーダーの資質を発現しやすくするか、発現しにくくするか、いずれかの環境をつくることだけである。しかもリーダーの資質を備える者はあまりに稀であり、かついつ現れるか知りえない。
したがって、企業が生産的な存在として一体性をもつうえで必要な組織を実現するために、リーダーの出現を頼みにすることはできない。

マネジメントは、他の方法によって卓越した組織の文化を実現する必要がある。効率的ではなく、手早いものではないかもしれない。しかしそれらの方法は、少なくとも手に入るものであり、しかもマネジメントが使うことのできるものである。

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アオバト②

事実、リーダーの出現にのみ期待するマネジメントは、結局は文化のために何も行わないという結果に陥る。リーダーシップには適性が必要である。しかも、リーダーの適性が十分でない一流の技師長や総務部長でさえ、それほど大勢いるわけではない。
リーダーシップとは姿勢でもある。しかるに、(雇用契約がマネジメントに対し、人の個性を変える権限まで与えているかは別として)人の姿勢ほど曖昧で変えにくいものはない。したがって、卓越した文化をもたらすための方法としてリーダーシップに依存することは、何もせず、何ももたらさないことを意味する。しかし、たとえ平凡なものであろうとも、日常の仕事なら適性、個性、姿勢の如何にかかわらず実行することができる。天才は必要でない。仕事は行えさえすればよい。仕事とは、論ずべきものではなく、実行すべきものである。
マネジメントのなかにリーダーの資質をもつ者がいるならば、仕事のうちにおいて、それを見出し、認め、発現させなければならない。さらにまた、正しいリーダーシップの素地は、仕事のうちにおいて、用意しなければならない。リーダーシップとは人を惹きつける資質ではない。そのようなものは扇動的資質にすぎない。リーダーシップとは、仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものは営業マンシップにすぎない。

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アオバト③

リーダーシップとは、人の視線を高め、成果の基準を上げ、通常の制約を超えさせるものであるリーダシップの素地として、行動と責任についての厳格な原則、高い成果の基準、人と仕事に対する敬意を、日常の仕事において確認するという組織の文化に優るものはない。まさにリーダーシップについても「望むだけでは手に入りません。実行しなさい」という貯蓄銀行の宣伝文句がそのまま当てはまる。

 ドラッカー博士はいつも、できることをやりましょうと言っています。できないことはできないのです…と。そして、何ができるのかできないのかを教えてくれます。リーダーシップも、凡庸な人を非凡な人にするのではありません。凡庸な人が凡庸ならざる仕事をできるようにすることだと言うのです。これならば出来る筈です…と。できることだからやりましょうよ、やらないと組織づくりが遅れて取り返しがつかなくなります…と聞こえてきます。

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チュウシャクシギ

日本の社会が豊かになり、平和になって来るのに比例して人々が他人をリードするのに躊躇するようになって来たように思われます。そして、いつかの新聞に、今の日本の人材不足は、現場の末端の働き手の不足ではなく、小集団、中集団をリードできる管理者不足が深刻なのです、とありました。これは指導現場の至るところで実感することです。労働力不足で外国の方の力を借りなければならない状況が起きていますが、中味が管理職不足とすれば、人手不足は頭で考えている数倍の助っ人が必要となります。また、経済活動自身もどんどん競争力が落ちて行くように思われます。
そして上文の中で、…………….リーダーシップの素地として、行動と責任についての厳格な原則、高い成果の基準、人と仕事に対する敬意を、日常の仕事において確認するという組織の文化に優るものはない…..と言っています。これはやればできることです。私は5Sで企業文化を作りましょうと訴えながら、もう一度、戦後の復興時に戻ったつもりで、このような姿勢づくりを見直してみる必要をつくづくと感じています。