バブルが弾けて大量生産の時代が去り、グローバル化の名の下に成果主義が持ち込まれ、新しい評価制度が日本に広がりました。私には理解不能な目標必達という目標管理がもてはやされ、それと同時に多くの企業が人員削減というリストラを余儀なくされ、ますますの経営の弱体化が目立ちました。成果主義の対面には、高度経済成長の時に好評価された日本的経営の核となる年功序列があり、言い換えれば人を評価しないで組織が運用されていた弊害が明らかになって来ました。

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ロウバイ

成果主義、年功序列の何れもが適正な運用がなされていないための結果だと思うのですが、これは偏に人の評価の難しさから来ているものでしょうか…。そのような状況に直面しながら、世の中はいつもひどい人事評価で多くの人が影響されているのを感じてきましたが、ドラッカー博士は「現代の経営」の中で以下に書きだした「評価の必要性」というタイトルで、私が世間から受ける評価の概念とは全く違った「評価の意義」を述べています。もう、20~30年前に知った内容ですが、このような洞察の下で人の評価がなされたなら、個人への影響のみならず、少なからぬ企業においては経営の結果が大きく変わるだろうに…とずっと思って来ました。改めて多くの方に目を通していただきたいと思って取り上げてみます。

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アカゲラ

評価の基準を高く設定するということは、目標を定める能力、その目標を達成する能力を体系的に評価するということである。経営管理者は、部下とその仕事ぶりの評価をもとに、諸々の意思決定を行なう仕事を命じ、部下をつけ、昇給や昇進の推薦を行う。したがって、経営管理者は体系的な計画の方法を知る必要がある。さもなければ、無駄な時間を使い、挙句の果てには知識ではなく勘によって決定を行うことになる。部下もまた、経営管理者たる上司に対し、勘による決定ではなく合理的な決定を要求する。なぜなら、それらの決定は上司が何を決定し、何を重要と考えるかを明らかにすべきものだからである。アメリカの企業、特に大企業において、経営管理者の体系的な評価が関心を集めているのは、このためである。
 しかし今日、評価のための手法が多く、その利用にあたって、専門家、特に心理学者の力を必要とするものになっている。しかも、経営管理者の評価のためのそれらの手法は、潜在能力に焦点を合わせている。心理学的には当然のことと思われるが、間違っている。評価はその上司たる経営管理者の直接の原因である。そして評価は、常に実績としての成果に焦点を合わせて行う必要がある。部下とその仕事ぶりを評価することは、上司たる経営管理者の仕事である。そもそも上司たる経営管理者が自ら部下を評価しなければ、彼らを助けたり教えたりする責任を果たすことができない。また、人を適材適所に配置するという企業に対する責任を果たすことができない。

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シロハラ

評価の方法は、その適用を専門家に任せなければならないほど難しく複雑なものであってはならない。そもそも、評価を専門家に任せることは、権限の放棄であり責任の回避である。評価は仕事に対して行なわなければならない。評価とは判断である。判断には常に基準が必要である。判断とは、一定の価値を適用することである。明確かつ公にされた基準に基づかない判断は恣意である。評価する者とされる者の双方を堕落させるいかに科学的であり、いかに多くの洞察を与えてくれるものであっても、潜在能力、人柄、将来性など、証明済みの仕事以外のものに合わせた人事評価は、力の濫用であるしかも、長期的な潜在能力についての判断ほど頼りにならないものはない。われわれ自身、人を判断する者として頼りにならないし、潜在的な能力ほど変化するものはない。世の中には、若い頃に将来を嘱望され、中年になって凡人になっている人が沢山いる。逆に平凡にスタートし、四〇代になって花を開かせる人も多い。長期的な潜在能力を評価することは、モンテカルロで胴元をつぶそうとするより見込みのない賭けである。しかも、その評価のシステムが「科学的」であるほど、ギャンブル性は高まる。しかし、最大の間違いは、弱みを中心に人を評価することである。

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ツバキ

要点をつく話がイギリスにある。二〇代前半で首相となり、占僣主ナポレオンに抵抗する唯一の国を率いて、国民に勇気と決意とリーダーシップを示した小ピットは、私生活でも高潔な人だった。腐敗した時代にあって、あくまで公正だった。道徳の乱れた時代にあって、誠実な夫であり父だった。その彼が若くして世を去り天国の門をくぐろうとしたとき。聖ペテロが「政治家であるお前がなぜ天国に入れると思うのか」と聞いた。……小ピットは、賄賂も受けず、愛人ももたなかったと答えた。しかし、聖ペテロは、「しなかったことに興味はない。何をしたのか」と再び聞いたという話である。

できないことはすることができない、しないことについて何かを達成することはできない。人は強みを生かして初めて、何かをすることができる・何かをすることによって、何かを達成できる。従って人の評価は、その人ができることを引き出すものでなければならない。
その人の強みを知り理解して初めて、「彼の強みを生かしてさらに進歩させるには、いかなる弱みを克服させなければならないか」を考えることができる。
弱みそのものは、通常、誰の目にも明らかである。しかし弱みにはいかなる意味もない。重要なことは、さらによく行い、さらに多くを知り、さらに成長したいという欲求である。それらの欲求が、より優れた、より強い、より成果を上げられる人間を作り上げる。

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イカル

—–部下とその仕事ぶりを評価することは、上司たる経営管理者の仕事である。そもそも上司たる経営管理者が自ら部下を評価しなければ、彼らを助けたり教えたりする責任を果たすことができない。また、適材適所に配置するという企業に対する責任を果たすことができない。

—-20歳半ばの頃、時の本社人事部の課長から「評価制度は誰のためにあるのか」と問いかけられました。問いかけられた全員が、評価される人のため、と答えました。人事課長は「評価は評価する人のためにあるのです。彼が胃が痛くなるほど悩んで、不十分な人材パワーの下で、どうやって組織を組み立てるのかを決めるためにあるのです」と教えてくれました。
何年も経ってドラッカー博士を知り、その言葉が蘇りました。私の周囲では、ほとんど評価される側のため…と答えが返って来ます。これでうまく組織が組めるのかな?と他人事ながら心配になります。また、猛烈なスピードで社会が変わり、会社も変わります。従って、どんどん主役が若い人に変わって行きます。歓迎すべき反面で、組織運営を新たに任された方たちが、基本的なこのような考え方を身につける時間がなさそうに見えることも気になります。