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ウソ

 今回は、9章ほどとばして、法華経のクライマックスとも言える常不軽菩薩品について取り上げてみます。この菩薩は、宮沢賢治が「雨ニモマケズ」で「サウイウモノニ/ワタシハナリタイ」としていた「デクノボー」のモデルだそうです。
この菩薩は、出会う人ごとに近づいて次のように告げました。「尊者がたよ/ご婦人かたよ、私はあなたがたを軽んじません。あなたがたは、軽んじられることはありません。それはどんな理由によってでしょうか? あなたがたは、全て菩薩としての修行を行いなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来になるでしょう」このように、「尊者がたよ/ご婦人かたよ」というよびかけで、男女両方に呼びかけていますから、男女とも如来になれると主張しています。男尊女卑のこの時代に、男女同権のこの主張は非常に画期的な内容ということになります。

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ヤマガラ

この菩薩はさらに、「他者に対して教理の開設もなさず、自分自身の聖典の学習もなすことがない。その一方で、遠くにいる人でさえも、誰であれ、まさに出会う人の全てに近づいて、先のように語って聞かせる」のだそうです。ということは、この菩薩は「私はあなたを軽んじません」と語って聞かせるだけで、経典を読んでいなかったことになります。経典重視のはずの「法華経」において、この菩薩はいっさい経典独誦をしなかったと書いてあるのです。仏道修行の基本の一つである独誦をこの菩薩は満たしていずに、ただ会う人すべてに「私はあなたがたを軽んじません」と言って相手に接したただけだったと言うのです。「会う人すべて」というのはカーストを問わないということになるので、この菩薩は身分差別を超越していることが暗に示されています。
4衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)たちは、この菩薩に対してそのほとんどが怒り、危害を加え、嫌悪感を感じ、ののしり、非難しました。常不軽菩薩はののしられたり、非難されたりしているうちに、多くの歳月が経過しましたが、彼は、誰に対しても決して怒らず、憎悪(瞋恚しんに)の心を生じることもありませんでした。危害を加えられそうになると走って逃げて、安全なところに着くとパッと振り返って「私はあなたを軽んじません」とよびかけました。

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紅葉

この常不軽菩薩のふるまいは、「法華経」が説く菩薩行の実践モデルとも言えます。「法華経」における救済とは、人間対人間の具体的な関係性を通じた対話によるものであるとされています。目の前にいる人間に語りかけ、罵られようが誤解されようが、それでも誠意を貫き通して行く。そのことによって誤解を解き、理解され、互いに意思疎通がなされ両者が何かに目覚めていくという在り方です。……世界にはさまざまな文明の対立、人権の対立、宗教の対立があります。南アフリカのネルソン・マンデラはアバルトヘイトに反対して27年間も獄中にありましたが、それでも人権を守るために戦った。キング牧師も人権のために戦った。そうした人たちの信念と行動も「法華経」の実践と言っていいのではないか。そうした極めて普遍的なメーセージがここに読み取れる気がするのです。

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雑木林

さあ、私はNHKテキストの法華経のこの文を書き写していて、何を述べたいのか分からなくなって来ました。ただ、黙って自分の信じたことを黙々と実践する…もちろん、見返りなど求めません…そのような黙々とした仕事が、ずっと後になって少なからぬ人々をつなぐ作用となってつながって来ることに思い至って、常不軽菩薩を思っている自分に驚いています。そして、久しぶりにアメニモマケズを読んでみたくなりました。以下にそれを読みながら書いてみることにします。

 

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渡良瀬遊水地

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち 慾はなく 決していからず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って 看病してやり 東に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず そういうものに わたしはなりたい

さて、そうとも思うのですが……その心境に近づきさえできずに悩みます。