第5章 薬草喩本では、第4章信解本の「長者窮子の譬え」を聞いて、その通りだという意味を込めて「薬草の譬え」を説きます。同一の雨水によって潤される植物は千差万別ですが、それらが生い茂っている大地は同一です。植物に違いはあっても、その違いは対立することもなく、根底は同一の大地に根差しています。

DSCN6891

 声門、独覚、菩薩という立場には違いがあるけれど、すべて人間として平等であり、互いに差別されるものではない、ということをこの譬喩では表しています。この譬え話の背景には、法華経が編纂されたガンダーラを含む西北インドの文化的な特徴を見ることがあるようです。ここは、インド系、ペルシア系、ギリシア系、中央アジア系などさまざまな人たちが暮らします。「薬草の譬え」はそうした人たちの思想を反映しているようです。仏教はインドから段々とこちらやセイロン、東南アジア、それからチベット、中国から日本へと伝播して行き、インドでは縮小して行きます。

IMG_1117

ガマノ穂

第6章「授記品」では四大声門について、未来における成仏の予言である授記が行われます。ここでブッダの国土が「清らかで、きれいに石やがれきが取り除かれていて、深い割れ目や断崖が消滅し、糞尿など汚物の排水路もなく、平坦で、喜ばしく」と書かれているそうです。法華経が生まれたのは、この逆の地、断崖があって平坦でない土地に住む人たちの地、例えばアフガニスタンのヒンドゥークシ山脈の山岳地帯などではないかと推察されています。

DSCN6870

 次の第七章「化城喩品」では過去との結びつきがテーマです。釈尊は、男性出家者に、自分と彼らとのはるか昔からの因縁を語ります。私とあなたたちは、はるかな昔から、何度も生まれ変わっては一緒に修行して来たのだ…と。「あなたたちと私は昔からの仲でしょう」という訳です。そして、「化城宝珠の譬え」が語られます。宝の島を目指してキャラバン隊が剣難な道を歩いている。そして皆、疲れて「もう帰る」と弱音を吐く。そこに蜃気楼のような城を作って見せて「ほら、あそこまでだ。元気を出そう」と言って勇気づけ、休ませる。皆は安心して疲れは吹っ飛んでしまう。そこで幻の城をぱっと消して、本当の目指すべき宝の島は近いと言って改めて出発し、無事に宝処に達したという内容です。これは方便による導きの譬えです。休息のために見せた幻の化城が、声門、独覚、菩薩の三乗です。方便として説いているが、本当に説きたいのは宝処である一仏乗の教え…ということです。

IMG_1112

ヤマボウシの実

第八章「五百弟子受記品」では釈迦十大弟子の富楼那に対して授記がなされます。釈迦は過去、未来、現在を通して説法第一だと語ります。「この富楼那は四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷…仏の教えに帰依した出家の男女、在家の男女)に対して、教えを示し、教化し、励まし、喜ばせる人」であり修行の仲間を慈しむ人として適切である」と言って賛嘆します。これは既に声門の域を出ているということになります。菩薩…と言って良いのでしょう…。富楼那は声門のふりをして、実はブッダのやるべき仕事をやっていたのです…。

IMG_1119

オハグロトンボ

 振り返ってみると、舎利弗は自分が菩薩であることを忘れていた、4大声門は菩薩の教えを知ってはいるが、それを人に教えるだけで自分は関心を持っていなかった。さらに富楼那は菩薩であるのに声門のふりをしている、ということになります。法華経が、たかだか声門に授記をするのに第二章から9章までの長いページを割いたのは、小乗仏教が小乗集団を構成する3つのタイプの人たちに、あるいは菩薩に至る3段階に合わせて、法華経が説く一乗経の教えを理解してもらうためだったのです。ここに仏教の当時の歴史や状況がくみ取れるのだ、と筆者は述べています

IMG_1090 (2)

アオサギ

第9章「授学無学人記品」が声門に対する授記が行われる最後の章になります。無学とは仏教においては「すでに学ぶことがなくなった人」、すなわち小乗仏教の修行完成者を意味します。逆に「有学」は「まだ学ぶべきことがある人」のことだそうです。まず、有学と無学の2千人に先立ち阿難への授記が行われます。次いで釈尊の実子・羅喉羅・その他の有学・無学の2千人に授記がなされ、これで全ての声門に対する授記が終わります。授記の順番は、いわゆる十大弟子の序列に則っています。しかし、寿命の長さには差がつけられています。法華経はここで、彼らの才能や実践の違いを明確化しているように思います。小乗の序列を踏まえつつも、利他行の観点を重視して、寿命に差をつけているのです。

5Sでは社員のベクトル合わせに苦労していますが、法華経でも同じいや、それも比較にならないほどの苦労があったのだなと思いながら読んでいます。今回で声門に対する未来成仏というテーマが終わり、第10章法師品から、釈尊が亡くなったあと誰が法華経を広めていくか、すなわち滅後の弘教の付属が語られて行きます。