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浄瑠璃寺

 40の手習いで書に親しみ、四捨五入したら50歳になる頃、紺紙に書かれた金文字の法華経に惹かれて写経にしばらく親しみました。現在の仕事を得たことと、50肩を患ったことで書くことから遠ざかっていましたが、般若心経や法華経…そして仏教のことがずっと気になっています。さらに、父母や二人の兄の死に遭遇するとともに、これから、否応なく実家を処分する立場になり、終活が目の前にぶら下がって来ました。この一連の流れで、お寺さんに接する機会も多くなり、さらに実家の処分と共に、近い内に自分の家や自身のことも、子供に迷惑がかからないように処理しておく必要も強く感じています。このことは、一人、私だけではなく、日本中の多くの方が直面して溜息をついているテーマではないかとも思います。特に終活では、葬儀=仏教ということが切りたくても切れません。そのような心境の下で多少はもがいている中で、今回は呉智英著・ちくま文庫発行の「つぎはぎ仏教入門」という本に出会いました。もともとは生・病・老・死の四苦などとどう向き合うかということから生まれた仏教の本質が理解できると、随分と心の持ち方が変わるような気がします。なぜ働くのか?  なぜ生きるのか?  5Sもこのことと無縁ではありません…。

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道端の石仏

著者は、私たちはきわめて単純なことに気づかないで話を進めていることがある…という出だしで「はじめに」の冒頭を語り始めます。単純なことに気づかないで…これは私が5Sに取り組むきっかけになった内容です。今は、知ったつもり、分かったつもり、誰かのものをすぐに取りたがるハゥトゥの世界…ああ、そうか仏教についてもそうだったのか、と安心できる言葉でした。事実、久しぶりに読書に没頭し、あとがきを入れて237ページの文庫本ですが、2日半ほどで一通り目を通しました。本当に分かりやすい解説です。今までの仏教観…何も分かっていなかったのが氷解しました。さらに著者は、素人のみならず多くの仏教者が、本当に良く分かっているのかと疑問を投げかけています。私に対して言えば、仏像やお経が分かる本を買って来たり、千枚をはるかに超える般若心経の写経をしたり、その解説書を読んだりしてもさっぱりわからなかったのが、この本を読み、この後の理解度は格段に違うことになるなと確信しています。

山あじさい

山あじさい

要旨
人には必ず死がある。これが得心できないことが迷妄であり、この心理に目覚めることが「覚り」なのである。仏教の核はほぼこれにつきている。これを突き詰めたのが釈迦であり、その教えが原仏教である。輪廻や浄土などは迷妄であると釈迦は考える
仏教とは釈迦の教えであり、それ以外のものは疑似仏教というものである
釈迦が書いた経典はない….お経は全て後に書かれたものである
原仏教には偶像崇拝はない。釈迦または釈迦に類するものだけが崇拝の対象である
釈迦滅後の比較的早く書かれた阿含経…時々宣伝で見かける護摩焚きの阿含宗は全く別もの…が
釈迦の考えに近い
釈迦の教えは小乗仏教である…高められる者だけが到達できる…
他の指導者・帝釈天が衆生救済をアドバイスをして釈迦が受け入れた…
ここから大乗仏教的な内容が付加される
釈迦滅後、しばらくして諸派に分かれる。当初は小乗派が主流
衆生救済派など20集団ほどに分裂…その後、衆生救済派が主流となる
ヒンズー教や他の宗教の考えが取り込まれ、様々な経典・仏(偶像)が生まれる
中国に伝わり、漢語で翻訳される。…漢の考え方が取り込まれる
例えば、禅宗は荘子が大きく入り込む
日本に渡り、様々な祖師が生まれる
最澄、法然、親鸞、栄西、日蓮、道元など…当然ながら日本的なものになる
寺院の拡大と共に、その地の考えが付加され葬式仏教となる
お経は仏教(疑似仏教)が広がるに比例して増えて行く
それは釈迦の教えから離れて行く歴史でもある

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興福寺の五重の塔

衆生救済という考え方は、5Sの働く人たちのために.という考え方にダブリます。トップランナー方式で引っ張り、段々と皆を巻き込むという考え方は、小乗仏教と大乗仏教の関係に似ていなくもありません。また、原仏教は、オカルトや実態のない願望をはねつけているようです。私が訴える真理の追究は精神論を否定するが故に、このことと合致します。さらに例えば、今まで良く分からなかった密教という言葉ですが、天台宗も真言宗も浄土宗も浄土真宗や禅宗も密教である、と言われあれっと思い理解が進みました。ある意味では、これらは原仏教と違うものと読み取れて納得しました。

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奈良公園

5月23日から24日まで、仕事の間に奈良を回って来ました。疑似仏教から作られた様々な建物や仏像などを堪能して来ました。国宝や重要文化財があちらにもこちらにもあり、至福の時間を過ごしました。信仰から生み出される人間の凄さを改めて感じさせていただいております。ところで、「つぎはぎ仏教入門」では、原仏教や疑似仏教が良いとか悪いとか言っていません。でも、時代が変わり、核家族と共に今までの仏教との付き合い方が変わろうとしているのに、仏教の本質を知らないと仏教もその変化に対応できないのではないかと警告をしています。この変化対応も5Sで唱えているテーマですが、生きる上ではどちらとも欠かせないテーマなのだと思います。

私も著者のように、仏教信者でも他の宗教の信者でもありません。でも、知らずのうちに深く影響を受けている仏教を無関心視する訳にも行きません。少なくとも、仏教の本質を知った上で終活ができれば良いし、これからどの位できるか分からない寺巡りにおいても、その感慨が少しは彩られることを期待しながら、もう少しこの本を読み込もうと思っています。DSCN0467 (2)

PS
府中市美術館に「長谷川利行展」を観に行き、この本にふと目が留まりました。仏教とはどんなものかということを知りたくて知らずにいたので感謝しています。長谷川利行の絵は、周囲にある情景を自由奔放に描いています。図録によれば、画壇に注目されながらそれ以上は認められなかったようです。自由というかハチャメチャに生きて、49歳の時に三河島の路上で倒れて行路病者として板橋病院に収容され、そこで亡くなる…知友の看取りもない、とあります。このような死に方をした画家の展覧会の場所でこの本に出会ったことも不思議な気がします。