山のように積まれた世界各国から集められた衣料や食料品、体内代謝をはるかに超えて食べられる食料…さらに食べきれなくて捨てられる食料…。その上、まだまだ消費を…と煽る経済…。これが日本の実情であろう。この状況に置かれても、モノ不足の時代に育った私たちは”もったいない”精神が働き、今持っているものを捨てるなどということはまかりならん…などということになる。しかも、生きているのだから次のモノを購入し、モノはますます増える…ということになる。何を持っているのかさえも分からなくなり”また買い”などは日常茶飯事、家の中は足の踏み場もない…おっとこれは私の家の中のことで、他の皆さんはこんなことはないと思われるが、いかがなものだろうか。

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いらっしゃいませ!

第二次世界大戦で戦争に負けた日本は、着の身着のままの状態になり、そこから物質的な豊かさと、その豊かさが人々を豊かにするのだと信じて、今の時代を作り上げて来た。その過程で地方から都市に沢山の人が移動したり、グローバル化に直面したり、食や医療の改善で長寿になったり、その反面で高齢化社会となり、人にかかる生涯コストが高いためか少子化を招いたりと様々な変化に直面して来た。そして、こんな筈ではなかったのに…と愕然としているのは私だけではないかと思うが、でもよくよく考えて見れば、こんな良い時代は歴史上でもなかったのであろう。そんな毎日の生活の中で、もっともっとという気持ちを続けながら将来が不安になり、では、その逆の心境になれれば多少はその不安はおさまるであろうと思って、努めてそうありたいと考えるようにしているのだが…長続きは難しい。

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スズメ

ところで、5Sで整理の大事さを教えて貰って、モノ余りの時代の姿勢を考える機会を与えられて、「知足」の意味を噛みしめているつもりだが、実生活に入るとなかなか実際の行動と「知足」の思いがリンクしないので、いつも歯がゆい思いをしている。そんな反省をこめて今回はこのようなことを取り上げてみたのだが…。

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レンギョウとミツマタ

最後に松山巌という方が書いた「ちょっと怠けるヒント」という本の中の「善意はあてにならない」という一説のさらにその中に、菊地寛の短編「極楽」の一節があったので、それを引用してみることにする。適切な引用文かどうか迷うところもあるが、考えさせられる一文ではあるのでお許し願いたい。2010年3月 第一刷

善意溢れる大店の二人の夫婦が、仲良く来世は極楽へゆこうという話だ。二人は貧しい人に功徳を施し続け、念願かなって死後は極楽浄土に入る。そこでは蓮の台うてなに暮らし、いつも妙なる調べが聞こえ、見かける人は聖人ばかり。二人は希みがかなえられたのを喜ぶ。ところが極楽は変化がない。いつもすべてが穏やかである。やがて二人は退屈する。そして、二人ともずっと思っていたことを口にする。地獄はどんなところなのだろう…。以来、二人は地獄を語り続ける。

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ヒバリ

松山氏は続ける。極楽に行って報告しに戻った人はいないから、本当のところはわからない。しかし菊池寛が描く極楽もしんどい気がしてならない。というのも現代日本こそ世界で一番、極楽に近い国だからだ…….と。その後で様々な論評が続くのだが、長くて難しくなるのでこの辺で終わりにしたい。世界で一番極楽に近い国…戦後のモノのない時代に育った私には、本当にそうだろうと思われる。思いながら、今の有難さを忘れている自分にやりようのない苛立たしさを感じている。ただ、どう仕様もなく社会の流れに流されながら…。

(この本が書かれた頃に比べれば、貧富の格差が広がったり、高齢化社会の実態が肌で感じられるようになって不安が募ったり、情報社会で便利な筈なのに混沌化が加速されたり…と、一番、極楽に近い国…の実感は薄くなりつつあるようにも思えるが、物質的な豊かさは、なお増しているのではないかと思われる)