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枝垂れ桜

    非まじめ…1980年代にこの言葉を初めて聞いた時、あれっと思ったのをはっきりと覚えている。この題名の本が出ていると聞いていたのに、今まで読まずに来たが、不まじめ、非まじめ、(生)まじめ、と並べただけでその言葉の意味を悟ったからである。人に、不まじめは論外、(生)まじめは会社をつぶします…などと説明しただけでその意味がはっきりとして来る。その間にいい加減…良い加減の非まじめがピタリと納まるからである。良い加減になれないいい加減な私は、本も読まずに30年以上も分かったつもりでこの言葉をいつも反芻していたが、何気なく思い出してその本を読んでみる気になった。既に絶版になっていたので、アマゾンで古本を買い求めた。便利な時代である。昭和59年2月15日第1刷発行、昭和60年6月7日第5刷発行とあることからも、大変な人気があったことが窺える。著者は森 政弘…東京工業大学教授 工学博士でわが国を代表するロボット工学の権威で、ユニークな発想の持ち主とある。講談社発行。

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ツバキ

あとがきにこう書いてある。非まじめの「非」という概念は、じつに壮大な概念である。それは、宇宙とか、全体とか、絶対とかといった概念と同次元のものである。今日一般的には、非は英語のNOTに相当する打消しの意味に使われているが、本来はそうではなく、超越するという意味である。語源的には、非は、鳥が飛下する時の両翅の形をかたどったものと大辞典に出ている。…….仏典では、非も不も同じ意味だが、本書では、非と不とを明確に区別して、不を打ち消し(NOTに)、非を超越に使い分けさせて貰った。だから、本書では、不まじめは、まじめの対立概念を表し、非まじめは、まじめでも不まじめでもない第3の概念、あるいは、まじめも活かし不まじめも活かした、まじめ・不まじめ共存の概念を表している。つまり、非は、哲学で言う止揚(アウトヘーベン)なのである。…….長略……..。若くして「非」に接することができた人は幸せである。まじめの中に、ちょっぴり不まじめを入れるという類の姿勢は多々見受けられるが、非まじめは、その程度の次元ではない。禅では、対立概念の一方のみを受け入れ、他を排除する姿勢を「二見に堕す」という。まじめが良くて、不まじめが悪いとするのは、堕落なのである。

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ミツマタ

この頃の教育の荒廃の原因は、まじめ一方に堕落して、不まじめを活かさなかったばちであると考えられる。そもそも、すべての存在、あらゆる概念は、何らかの深い意味があって、この世の中に出現して来ており、その全てを活かすべく創造的に努力することが、人間としての道なのである。この生き方を「非」というのである。まじめ、不まじめに限らず、あらゆる対立概念に「非」を持ちこみ、両方とも活用し、ゆめゆめ一方を軽んじることは避けていただきたい。…

中味をもっと紹介したいのだが、とても長いのでこの辺で…と言いながら、目次の大項目だけでも挙げておきます。
Ⅰ まじめの功罪
Ⅱ 「非まじめの発想」
Ⅲ 境目に惑わされるな
Ⅳ むだは役立つ
Ⅴ 手と脳と創造性
Ⅵ 逆説のすすめ
Ⅶ 北北東へ進め

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イソシギ

何のことかわからなくなっちゃって…。でも魅力的なタイトルが並んでいると思いませんか?  気になった方は是非、本書を読んでみて下さい。そうそう、色々なまじめも挙げられているので、これも挙げておきます。
Ⅰ 理由公害・目的公害という「まじめ」
Ⅱ あいまいさをきらう「まじめ」
Ⅲ 失敗をきらう「まじめ」
Ⅳ なんでも反対という「まじめ」
Ⅴ 周藤な準備という「まじめ」
Ⅵ 完全主義という「まじめ」
Ⅶ 人が通ったあとを通る「まじめ」
ウーン…参ったな。これを見ているだけで「まじめ」の本質が見えて来ます。