今日は終戦記念日です。朝日新聞の証言そのとき、の「市場の時代」道半ば⑤「日本型」からの転換日本取引所グループ前最高経営責任者 斉藤惇氏・聞き手 西井泰之氏というコラムがちょっと目に付きました。私は、どちらかというと日本型を基準にした考え方をしているからです。
078 要旨を拾ってみると、米国流の考え方は、企業は株主のもので、経営者は株主から経営を委託された代理人。経営者は株主の方を向いて収益や配当を増やす経営をする。だが日本の経団連はこの会社観には同意できなかった。経営者は会社から信託を受けた代表で、雇用を守り、取引先、地域との調和を考えながら会社を大きくするのが役割だと考えているからだ。「乗っ取り」で名をはせたビケンズ氏や村上ファンド問題も過去にあったから、企業があの連中の所有物だというのはありえない、という思いからだろう。022気持ちはわかるが、実は日本も戦前は米国流だったのだ。財閥が企業を保有、経営者は外から逸材を入れた。資金調達も資本市場からが主流で配当性向も50%を超えていた。戦時体制で配当が制限され終身雇用制が広がり銀行中心の資金配分になったのだが、これが今でも続いているだけだ。と、経済の本質など知らない私にも良く分かるように解説されている。
そして続く。グローバルな市場競争の時代に。「日本型経営」がどこまで通用するのかという議論でもあった。日本のように会社共同体的なやり方でやれるなら、それは理想だ。だが厳しい国際競争では効率的に劣ると負けてしまう
株式会社は資本を効率よく使い最大限の収益を生むために生まれた。収益を上げるためのツールだ、と続く。非効率を残して競争に負け続けると、日本型経営で安定した社会を目指しているはずなのに、結局、社会が不安定になる。資本主義経済では「富」を想像し所得を生むのは企業だ。企業が競争に負けたら元も子もない。
007米国は株主や従業員などの格差が拡大し、社会に亀裂が広がる課題を抱えるが、効率を求める冷たい経営の結果、GDP(国内総生産)は増え全体では豊かになっている。日本型がいいとやって来たが、結果はどうなのか。日本が米国流になることには社会の合意は得られないと思うが、何もしないでいいのか。もう少し豊かになる工夫があるのではと考えたのがコーポレートガバナンスの強化だった。…と。そして以下のように続く。

 プロの経営者が必要。コーポレートガバナンスは「サラリーマン経営者」を鍛える役割もする。日本を代表する企業の大半がサラリーマン経営者だ。経営陣が自分の代に業績が落ちるのを恐れて利益をかさ上げしたり……プロの経営者が少ない日本の弱さを感じる。サラリーマン感覚のまま経営しているから保守的になるしリスクも怖がる。自分を引き上げてくれた先輩のやった範囲でしかやらず、利益が出ない事業をやめるといた痛みを伴う決断は躊躇しがちだ。
そして社内の経営のプロが育つように、社外の人や市場からの圧力が大事だ。と続き、市場は強欲だが、新しい力になる。だが日本では市場もまた古い体質や慣行が残る。…
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サラリーマンにどっぷり浸かっていた私には、サラリーマン社長が途方もない意思や決断力が要求されていたのだな、と改めて思いながら、当然、私などには声のかかる筈もない経営者の声がかからなかった事にほっとすると同時に、次から次へと生み出される元は仲間だった事業部長クラスに抜擢された人たちに対して同情を禁じ得ない。ほとんどの人が、資質もあるけれども、このような社会の変化の中に巻き込まれて、個人ではどう仕様もなかったのではないかと思うからである。
上文から少し思う所があるので述べてみたい。…「日本型経営」がどこまで通用するのかという議論でもあった。日本のように会社共同体的なやり方でやれるなら、それは理想だ。だが厳しい国際競争では効率的に劣ると負けてしまう。…とあるが、多くの企業が、本当に効率的なことを追究していないからこのような文章になるのであろう。日本型経営を成り立たせるために、心底からの効率を求めてもグローバル化には通用しないのだろうか。だから、今のままで、今の人員で、どこまで効率的にやれるのか、という問いを繰り返しながら足利の5Sをやらせて貰っているが、中小企業の規模であれば手ごたえは十分である。最も、世間で考えている狭い効率以上の効率を考えたり、大企業で考えているスピーディでとてつもなく大きな出来そうもない効果は視野から外しているが…。また、本文でも述べているように、その意思のない経営者に対してはいかんともし難いので付け加えておきたい。
117さらに上文には、株式会社は資本を効率よく使い最大限の収益を生むために生まれた。収益を上げるためのツールだ…とあるが、では収益を上げた後の目的は…ということが欠けているように思われる。ある時代までは、会社はただ収益を上げるのが目的だったのであろうが、その結果の弊害を見て、”社会の公器” 的な是正の力が働いて来たのではないだろうか。何れにしても、失敗すれば元も子もない。だから一次的な目的は “利益はいくらあっても良い”の だろうが、その後に “社会の公器” 的なものがあり、その前には利益を生み出す前提である “従業員満足” が不可欠なのではないかと思われる。それが上手く回れば良心的な株主の目的とは合致するのだと思うのだが…。

 朝日新聞の今回のコラムには、日本が置かれている立場が分かりやすく書かれていて、私程度の者でも頭の中が整理出来ました。このような背景を知りながら、一面では理想であると言われている「日本型経営」を、年齢の限界もありますが、もうしばらく追究してみたいと改めて思っています。