母は明治44年10月生まれ、昨年の平成27年12月5日に104歳で他界しました。7人IMG_2719兄弟姉妹の7番目のせいかお嬢さんっぽい所がありました。細かいことにくよくよしないのです。私が昭和41年の大学2年の時、万年赤字の父の経営する木工所が倒産しました。おどおどする父、小さな体にもかかわらず全く普段と変わらない母。家も何も手放すかもという時でも、涼しい顔で債権者会議をやってみなければ分からないから…と自然体です。父はと言えば自殺を心配するほど(そんなことはなかったのでしょうが)動揺しているように見えました。21歳の時に倒産という場面を見せてくれた父にも感謝しますが、母の自然体には驚きました。普段は逆だと思っていましたから…。それから債権者会議があり、会社の名前を変えて再出発ということになりました。その条件として中島さんという工場長が招かれました。中島工場長は10Kmほど先の木崎町という所から自転車で通って来ました。私は寝床の中で、毎朝6時前に中島工場長の電動鋸の音で目を覚ますようになりました。片方ではキジバトのどてっぽーぽーという鳴き声が聞こえて来ますIMG_2205。ジャージャーという鋸の音は何をしてるのだろうと起きてから確認したら、木っ端を一定の大きさに切って捨てやすくして、きれいに積み上げられていました。その時は、きれいになったなーと思っただけでしたが、25年以上経って5Sを知った時に、はっとその光景が脳裏に蘇りました。あの時の木っ端!まさに5Sではないかと…。とすると、知らずのうちにノー天気な父に5Sを教えて貰っていた事になります。父は
市会議員を2期務めました。教員だった母の給料は生活費と選挙資金の不足分で消えて無くなりました。一部は母の実家から資金を融通して貰ったようですし、退職金で家を建てる母の夢は、結局、実現しませんでした。それでも母は涼しい顔をしているように見えたものです。

再出発した木工所は10年ほど続けながら段階的に縮小して家と土地半分を残してクローズできました。父母二人の年金の生活は決して豊かではありませんでしたがIMG_2683、元農家の 広い庭に草木をいっぱい植えて四季折々の花を愛でながらの落ち着いた生活でした。そして平成4年8月に父が他界。母のそれからは広い家と庭に一人での生活でした。98歳過ぎまで自活をして幸いにも良く面倒を看てくれる老人ホームに移りました。103歳までは足腰も元気、死ね3ケ月前までは頭脳も明晰でした。細かいことを病まない…という性格がそうさせたのではないかと思います。教員時代によくあったとのことですが、母が電話の引き継ぎに出て、当人を探している間にそれをすっかり忘れてしまって電話の主が相当時間待たされるということは定評だったようです。待った後の事は聞き洩らしました。一事が万事だったようですが、それを話して下さる元同僚の方が、それが母の良い所だと言ってくれます。今の時代だったら大変な事になるのでしょうが、さて、どちらが良いのやら、考えさせられる所です。
また、一人暮らしの母の所へは良く人が集まりました。いつでもわいわいがやがや…子供としては周囲に人がいることでほっと安心したものです。さて、子供にあれをやれ、これをやれということはほとんど言わない母でしたが「お前ね、人生は鳴かず飛ばず…それが一番だよ」と何度か言われた言葉が忘れられません。父が選挙をしたり村の役を引き受けたりで出たがり屋で苦労したこともあったからかもしれませんが、(私は性格が父に似ているので)特に母の言葉に沿いたいと思ってやって来ました。きちんとした仕事をすれば宣伝をしなくても自然と人がそれなりに評価してくれるし、間違いがあってもさほど大きなダメージにはならないのでそのような時でも立ち直りが早くできるのではないかと思っています。5Sの活動でも、自分を横に置いて相手の立場を立てている限りは結果が良さそうです。実際は修行ができていないのでなかなかそのようには出来ませんが…。
父をこきおろしましたので最後に名誉回復です。私が今の仕事をやっていられるのは、行き場のなくなった人たちをも採用しなければならなかった零細企業の状況や、なかなか経験のできない倒産劇までをも見せて貰ったことではないかと父には感謝しています。さらに60歳過ぎての再スタート後の事業のクローズのやり方も見せて貰いました。優秀な筈の大企業のOBの方たちが、なかなか第二の人生がで思うようにならないのは、中小零細企業で繰り広げられているこれに近い状況を理解できないのが大きな理由の1つのように思われます。それを最も多感な年齢の時に見せて貰ったことが役に立たない筈がありません。
ところで、夫婦というものは不思議な組み合わせだとつくづく感じます。これは父と母だけの現象ではなさそうだとつくづく実感しています。

叱られて犬啼き止みぬ夜の小屋に時折くさりの動く音する                                平成2年8月8日  かね

鳴かず飛ばずとは  「三年蜚(と)ばず鳴かず」の中国の故事から
将来大いに活躍しようとして、じっとその機会の来るのを待っているさま が本来の意味のようです。
これと言った仕事や活躍をしないでいるさま、ずっと目立った行いもなく、人から忘れられたようになっているさま 現在ではこの意味で用いられています。
私は、じっと永久に努力しながらずっと目立たないようにいられれば良い、と思っています。