IMG_1009足利5S


私たちの多くは、今の社会を疑うことなく迷わずに働いています。生きていくにはそうしなければならないとわき目もふらずに働いている人が大多数です。
もちろん、私もその一人です。
だから、毎日を漫然と、しかしあわただしく過 ごしています。いつも何かに追いかけられているような気がしながら時は過ぎています。

今この時は、秋の真っただ中にあります。ものごとを考えるには良い季節です。今回は、ちょっと立ち止まって、日常の宣騒から離れて、毎日お付き合いしている仕事や家事について、つまり、働くという事について考えてみます。
縄文時代かそれ以前か以後か…わたくしたち人間は麦や稲の穂を拾ったり、野ブドウを採ったり、魚や獣を捕って生活をしていました。沢山とれた時には海幸彦・山幸彦の世界の物々交換が行われて、自分たちの生活品のレパートリーを増やしていた筈です。この旨みを覚えると、もっと多く広く…生活を豊かにするために開墾して畑を作ったり漁具の改良などにいそしみました。さらに進むとより広く物々交換が行われ、貨幣が生まれて見ず知らずの人たちとの物々交換へと広がって来たのだと思います。そしてさらに進むと貨幣が物を凌駕し、仕事の原点の「人の生活を豊かにするため」、という概念は「もっと欲しい」に変わり、どんどん影が薄くなってきました。その極みの中に現在のわたくしたちがいるのだと考えられます。

わたくしは、5Sの普及という仕事で講演・講話などをする機会もあり、その時は努めてこの話をするようにしています。そして、多くの人が、そんなこと考えてもみなかったという感想を述べてくれます。科学や技術が発展して来たのも人々が豊かになるためだったのではないか、もっと基本的な単純作業による仕事ももちろん人々が飢えや寒さ暑さをしのぐためではなかったのではないかなどと、嫌な奴だななどと思われるのは承知の上で続けてみますが、結構、多くの人にアレっと思っていただいております。現代の人はあまりこういうことを考えるのに慣れていないようです…。

ところで、足利の5Sは「働く人たちのために」「真理を追究する」の2つを骨子に据えています。何しろ今の社会は、みかけの仕事は横行するわ、ウソはつくわ、が目につきますし、それに相俟って多くの働く人がハッピーではないように見えます。他人が自分をそのように扱っているということもありますが、自分が他人のせいにしたり権利や義務を放棄して墓穴を掘っている面も否めません。もちろん、このことも伝えています。働く人たちが本物を追究して能動的に活き活きと仕事ができたら…、場面は大きく変わって来る筈です。
こんなことをとりとめもなく考えていると秋の夜長も捨てたものではありませんが、年齢とともに集中力が弱くなり、こんな浅いところまでが考えの及ぶ限界なのでここらで最後にして一言…。基本的には働くのは自分のためです。自分のために、最高まではいかなくても良い仕事につとめましょう…。一人よがりにならず、人のため、社会のために働けば、それは間違いなく会社のためになります。そして、これは勇気のいることです。いい仕事は少し、いや多くかな…勇気がいります。でもきっと、その分だけ人生が変わります。これはわたくしが、たかが5S、されど5Sで知った働く喜びです。わがまま人間の勝手な思いにすぎませんが…。